昭和52年10月16日 秋の大祭 末永建郎講話



 司会案内
 只今より金光教ビリグイ教会長、末永建郎先生のご教話を頂きます。先生は10年もの長い間椛目合楽を通じて、親先生のご指導の下に、信心修業を重ねられご神命により、今年4月南米にブラジル国の繁栄と平和のため、ブラジルの土にならんと、かの地へ渡られました。ビリグイでの先生は親先生の打ち立てられた、合楽理念に寄るほか、人間の幸せはないし、また助かりはないとの確信をいよいよ深められ、日夜親先生の信心の実証者として、お取次ぎを成され。今や御比礼は目を見張るばかりと聞いております。全身全霊合楽理念を中心にした布教を、身をもって当たられている、末永先生ご一家の御信心を拝聴させて頂きます。

 講師 末永建郎
 今日はおめでとうございます。親先生のお喜びはそのまま天地のお喜びであります。椛目合楽を通して限りなく助けられて参りました、私共に取りまして親先生のお喜びは、そのまま私共の喜びであります。3代金光様が大教会所新築落成奉告祭の時に、氏子の喜びは神の喜びと言う事を仰せられましたけれども、今日の合楽教会開教10周年記念祭を頂く私共、一人一人の上に頂く信心の喜びは、一体どこから生れて来るのでしょうか。椛目合楽を通して歩かれた親先生の信心の足跡は実に偉大であられたと思うのです。
 私は南米の地にやらせて頂きまして此の方、親先生の歩まれました信心のご苦労だけは、一日たりとも忘れる事は出来ませんでした。親先生の信心のご苦労なかりせば、今日の私はありません。親先生なかりせば今日の私一家はありません。そして親先生なかりせば今日南米の地で、沢山の人達が助かると言う事もありませんでした。只今若先生から身に余るご紹介を頂きましたけれども、こういう若先生を始め親先生とこういう篤い祈りの中にあって、南米布教が始められ。
 そしてここから天地の発動が起こった事を、いよいよ有り難く思わずにはおられません。私はブラジルの地にやらせて頂きまして、初めてあちらの地でせんざ祭をつかえさせて頂いたのは、4月29日の深夜の0時からでした。始めてやらして頂いたビリグイの地で仕えるしんど祭は、本当に感激一杯の中に仕えさせて頂く事が出来た訳です。そしてその日から朝から晩まで親先生の御神勤に神習っての、親善奉仕を続けさせて頂き、今日に至らして頂いとる訳で。
 私はこの半年間の私自身の信心体験を通して、はっきりと分からされた事があります。それは親先生の仰せられる事には嘘はないと言う事でした。親先生の仰せられますところの合楽理念と言うものは、いささかの狂いもなければ、いささかの間違いのないと言う事が、いよいよもってはっきりと分からされる事が出来た訳です。あちらに行かして頂きまして丁度何日目だったでしょうか、隣にあのう多田さんと仰る日系人の方が居られますけど。そこの御主人は2世の方で日本語はお話しする事は出来ませんが。
 その方が新田さんのところを訪ねて見えて、もうお宅は毎晩毎晩発動機の音がするけれども、ありゃ一体何ですかって言う事を尋ねられる訳です。勿論あの発動機とか言うものが置いてある筈がありません。けれども私はそれを聞かして頂いた時に、もう大変その時感動させられました。成程いまここでは朝から晩まで神前奉仕をさして頂くけれども、それこそもう誰一人として参って来る人がある訳じゃないけれども、この地は確かに親先生の祈りの中で、親先生の上に現れておられる。
 天地の発動がそのビリグイの地でも起こっておると思わせて頂いた時に、もう思わず感動させられました。その二日後だったでしょうか、朝のお夢の中に私は、小倉の桂松平先生と言う方を直接存じ上げてる訳じゃありませんけれども。夢の中に小倉の桂松平先生と、親先生が現れられて、そしてもう一生懸命私を励ましてい頂くと言う、そういうお夢を頂かして頂きました。その翌日が5月13日今忘れもしません。もう合楽教会では今日は13日会があっておると言う日でした。
 一日の神前奉仕を終わらして頂いて、4時の御祈念を終わらして頂いて、そしてお風呂を頂いて、そしてまた御結界に坐らせて頂いておるところに、丁度そこに参って来られて方がイエーネベルチーニベルチーキンさんという方と、ジャスチーヤマンティヤさんという、二人外人さんが参って見えました。イエーナさんと仰る方は30年間に渡ってもう、ともかく訳の分からん頭痛がすると言う。ともかく医者に掛かりあらゆる薬を飲んでも、どうにもならん、まこういう難儀と言うものは。
 もう一生抱えとかにゃならんもんだろうという。諦めすら持っておられた方でしたけれども、こう言う病気が治りますでしょうかというて参って見えた訳です。私はその事をもうそれこそ、あのう御神前に出てお願いさせて頂きます。そしてその方がお願をして帰られたその明くる日から、もうすっかり長年の頭痛が収まっておると言う、おかげを頂かれた分けです。その話を聞いて驚いて参って見えたのが、近所のエンザロックさんと仰る外人さんでした。
 その方は参って来るなり私の前に坐って、私の悩みが分かりますかと言うのが、もう開口一番の質問でした。私は分る筈もありませんけれども、もうその場でちょうど時計を見さして頂いたら、親先生がちょうどあの控室に入られたという時間でした。それでもう思わず私は心の中で、もう合楽教会の控室に言った様な心持で、神様にお願いさせて頂いたんです。そしたら丁度その時頂いたのが、葡萄の房が半分に切れて落ち掛かっておると言うお知らせを頂いた訳です。
 そのエンザロックさんと仰る方は、よくニックネームで葡萄の様なお方と言う敬称のあるお方なんです。でもうその事を頂いてその方が、もうびっくりされた訳です。ていうのは長年校長先生をしておられたのが、不如意な事が起きて、校長先生をやめなければならない羽目にならされたんです。それでやめさせられるかやめさせられないかの、今ちょうどその瀬戸際にある。ですからどうぞこれが、くっ付き来ます様にと言うのが、その時のお願でした。
 そしてその方が翌日に参って見えてお届けされるのに、その時始めて参って見えた日には、その事は何にも仰らなかったですけれど、もうとにかく学校での色んな人間関係の煩わしさから、もとにかく夜が休まれない、夜が眠られないと言う方だった訳です。それでお願いをしたらその日その晩から、もうぐっすり休めるようになられた。以来打ち込んだ信心も出来られるようになったんですけれども。もうこれがビリグイ教会における、奇跡の怒り始めでした。
 もうそれ以来というものもう天地の発動、親先生の信心に現れる所の天地の発動と言うものは、もう極まる所なく今日まで続けさして頂いております。ビリグイ教会に参って見える方は、黒人の人もあります。白人の方もあります。現地人の方もあります。勿論日本人の方もあります。もうともかく人種とか言葉とか言うものは、人間の助かり神様の御心にはもう関係がないと言う事を、もうはっきりと分からされた訳です。
 そういう中にあって今日まで様々な問題に直面させられたし、もういよいよ親先生の深い思いに触れさせて頂いたり、親先生の篤い祈りに涙したりする毎日の中に、ビリグイ布教を続けさせて頂いておる訳ですけれども。ちょうど23日のあちらに参りまして、23日に月次祭が仕えさして頂き、あと一週間でちょうど御大祭と言う時でした。まぁその頃はお参りもまぁいうなら、もうまぁぼちっぼちと言う程度の時だったんですけれども、はぁ始めて合楽教会から手紙が来た事があります。
 そのなかで親先生が私にお書き下げを頂かして頂いたんです。そのお書き下げの中に、汝んじ真理を語り、人心んを清め、明暗の世界に光明を与う、恐るるに足らぬ 萬里の波濤、南米の地に金光教を広め、合楽理念を示現せん、万感胸に逼る感激の涙。こういうお書き下げを頂いた訳ですけれども、もう私はもうこのおお書き下げを頂いた時は、もう夫婦してもう御神前でもうもう感動の涙にくれさして頂きました。
 もう親先生の思いとか親先生の祈りとか言うものが、もう海を越えて私の上にはっきりと、伝わってくる思いがした訳です。はぁそう言う様な思いでその時を境に、それまでちくうパラパラのお参りであったのが、丁度その翌日が30名のお届けがありました、その翌日が40名のお届けがありました。でその翌日が50名そのまた翌日が60名と言う有様で、もう瞬く間に人が集まって来る様になって来た訳です。そういう中であちらにやらして頂いて始めての仕えさせて頂いたのが、5月29日の秋の今日大祭でした。
 日本では春ですけれども、ブラジルは地球がもう全くもう反対側ですから、季節ももう全く逆になる訳です。そのブラジルの秋の御大祭を仕えさして頂いた訳ですけれども。本当に始めの内はまぁいつも御神前に奉仕させて頂くところは、まぁ20名ぐらいしか入れないところですから、せめてこう30名ぐらいは入れる所が良かろうと思うて、そこに神様をお祀りし直して、そしてお祭の時間を待たして頂いた訳ですけれども。もうお祭りが始まる頃にゃもうそこはあっという間に一杯になって。
 もう次の部屋ももう入り切れんぐらいの盛大な中に、初めての御大祭を仕えさせて頂く事が出来ました。こういうそれこそもう夢にも思わぬ様な中で、次々とおかげを頂いて道開きの御用に専念させて頂き、おかげを頂いてきた訳ですけれども、私の一番初めのおかげの頂き始めは、日本を出てブラジルに向うその飛行機の中から、言うならおかげの頂き始めを受ける事が出来ました。4月27日に若先生を始め沢山の人達の見送りを受けて、羽田空港を飛び立ったのが、もう東京は夜を過ぎる夜の事でした。
 飛行機を出て飛行機が飛び立たせて頂いて、闇の中の窓の外を見ながら、これまえの過ごし方の事を親先生と初めて会わせて頂いてこの方の事、さて親先生の御修行時代の事、さて合楽教会に移らして頂いてこの方の事を、いろいろいろんな事がもう次々と心の中に湧いては消え湧いては消えさせて頂く訳です、そしてそう言う事を思う思う度に、もう訳の分からない感動を覚えさせて頂く事が出来ました。もうともかく東京の羽田空港からブラジルまで時間にしますと26時間かかりますけれども。
 もうその飛行機の中というものは、もうそういう感動の連続だったもんで、もう私にしてはもういつの間に、ブラジルに付いたやら分からん様にして、かの地に渡らして頂く事が出来た訳です。始めてサンパウロの土地につかして頂き、家内を始め子供皆んなそろってサンパウロの土を踏まして頂きました時。ここに大陸に合楽かんかんした時の感動は、今も鮮やかに私の心に振り返って来る事が出来ます。そして飛行機を降りて税関所を通り、もう税関所でももう本当に言うに言われぬおかげを頂き。
 もう普段では通る事の出来ない、例えば神様の御社だとか、今日お参り頂いている安武先生から記念に日本刀だとか、まぁ持って行ってはならない物なんかを沢山持って行っておりましたけれども、もう神様の御神璽なんかはもう何の検査もなしに通る事が出来ました。もう外人さんで言葉も分かりませんから、こりゃ一体何ですかと言いますから、こりゃ神様ですと言うたっちゃ分かりませんから、もうその場でこう柏手打って拝む真似をさせて頂いた訳です。
 そしたらもう分かったのか分からんのかもうともかく、どうぞっというてもう通して頂く事が出来た。そして税関所を通らして頂いて、初めてそこに迎えに来ておられた、サンパウロ教会の高橋先生を始め、ビリグイ教会の関係の方々が、もう八波の教旗を振って、私達を迎えて頂いた時は、もう本当に異国の地で見る八波の御紋が、こんなにも有り難いもんだろうかと思いました。そして取る物も取り合えず、サンパウロ教会にやらして頂いた訳ですけれども。
 サンパウロ教会は高橋さなお先生と仰いまして、合楽教会の親教会である三井教会の親奥様のお姉さんに当たられる方です。もう50年前でしょうかねあのうブラジルに渡られて、してもうあらゆる様々な苦労やら難儀の中に、ま今日道開きの御用に専念されておられる訳ですけれども、そこで歓迎の昼食会をさして頂かして頂き、その時に初めて皆さんと挨拶咲いて頂いた中に、出発に当たって親先生より頂いた節を大切にする事、ブラジル国の平和と繁栄を祈らして頂く事。
 そう言う事を話させて頂くと、もうブラジルの方々がもう泣いて喜ばれました。ブラジルに渡って40年50年ともかくもうあちらに行きますとですね、頼りになるものはもう何ぁんもないのです。こりゃ私自身もそれをもう実感しましたけれども、痛切に感じさせられましたけれども。こりゃ日本で金光教の信心を頂き、そしてブラジルに移民として開拓に行かれた人達が、もう頼るものは何ぁんもなかった訳です。そこで頼るものは日本でしょった金光教の信心であり、言うなら金光いわば金光様を唱えると言う。
 ただそれだけで30年40年ブラジルで、布教活動をさして頂いたとい方達が、何人かこの頃こう何時の間にか集まって、そして出来たのがサンパウロ教会なんです。ですからサンパウロの地にもう日本から先生が来て頂きたいと言うのは、もうそれこそもう長年の念願であり、長年の夢であった訳ですけれども。そこに初めて親先生の御神命によって私を選んで頂き、そしてその時のもう皆さんの喜びと言うは、もうならもう例え様のないほどしの喜びでした。
 そしてまぁそれ以来というものは毎月サンパウロの地にも、月一辺やらして頂いてる訳ですけれども、サンパウロの空港に降り立ったのが28日の朝でした。そしてもうお昼にサンパウロ教会に寄らして頂き、サンパウロ教会からビリグイに向かったのが、午後2時ぐらいだったでしょうか、その時に送って頂いたのが、モジタスクルーゼスにおられる田代さんと仰る方でしたけれども、その方の車でビリグイ迄もうともかく、今日の内にビリグイにつかして頂き。
 今晩の内に( ? )つかして頂きたいと言う願いが有りましたから。その事をお伝えさして頂いて、もう大体なら随分時間の掛る所ですけれども、あのビリグイの地につくまでに大体8時間くらいで到着したと思います。途中スピード出し過ぎておまわりさんに2辺捕まったんですけど。もう1辺目はたまぁたまそその運転者んが、もう一番懇意にして居ったおまわりさんだったんです。それでもう一辺であのう何の音沙汰もなく、ただ今日は特別のあのうこうやって交通整理が有っとるから。
 何キロ毎にあのうちゃんと巡査が出とるから用心して行ってくれと言う、まぁ親切な忠告まで頂いた訳ですけれども、そしてやらしてた頂く内にその思わぬとこでまたもう1辺引っ掛かって、ところがその時は速度制限と重量制限と二つあったとはの中で、重量制限だけが急にあのう忙しくなったもんで、速度制限はもう今日はもう取りやめという事になって、そこももう何の事もなしにやらして頂く事が出来たんです。もう税関所の事と言い、途中のまぁおまわりさん事と言い。
 もうともかく初めてあのうブラジルの方達と一緒、にあちらに行かして頂きながら、なるほどこの度来て頂いた神様は生きた神様だなぁちゅうて、皆さんがもう大変驚いたり喜んだりなさいました。こういう中に始めて立たして頂いたビリグイの街ですけれども、そんビリグイちゅう町は本当に緑の多い街で、ちょうどこう久留米市を思わせるような町なんです。私の行きましたサンパウロ州はブラジルでも一番開けた州でして、殆どがもう耕作地だとかあるいは放牧場だとか。
 あちらではパホトと言う牛なんかを飼う草原だとか、まぁそう言う風に殆ど開けて今ブラジルパウロ州にはその原始林というものは、もうみろうと思ってもたってみも見られませんけれども、まぁそういう中にあってビリグイという町は、まぁ言うなら今からちょうど30年ぐらい前に30年40年ぐらい前に拓けた町らしいっです、隣にアーサツーバという大きい街がありますけれども、ビリグイの街にゃ日系人が大体200家族ほど住んでおられると言う事を聞いております。
 こういうビリグイの街に着かして頂き、初めての中にまぁ言うなら、あぁ感激一杯の洗脳作用とかさせて頂いた訳ですけれども、その明くる日から一日朝から晩まで、御神前に奉仕させて頂き、なにしろ始めていく異国の土地でもありますし。不安と言う事がそのうなかなかこうなんち言いますか、ピッタリ来ない訳なんです。ところがっちょう度おかげを頂いて、あのう出発の時にこう大和さんから、祝詞座を二枚ほどあのう頂いてたんです。それがあったからもう落ちついて坐って御祈念が出来た。
 そしてあのうあちらの教会に祝詞座が一枚余っておりましたから、その祝詞座の一枚余ったのと玉串庵の一つ余ったのをこう使って、それを御結界代わりに坐らせて頂くと言う、そういう中から取次ぎの御用の事始めを始めさして頂いた訳です。とかく海外布教とかに限らずこりゃ金光教の布教を志す者は、もう皆んなが一度は通るところは、もうそれこそ食べる物ももうなくなる、もうそれこそ今日今日で3日食べない日が続いた、4日食べない日が続いた、もうそういうそれこそ目にも当てられない様な。
 厳しい修行の中から道が開けるのが金光教の、まぁ言うなら是が布教ですけれども。まぁ親先生はかねがね合楽で修行した者の上にゃ、もう食べる事やら着る事の上にゃもう一切あのう苦労はさせんと言う事を、その日頃仰っておられましたが。もう親先生の常日頃仰るそういうお言葉そのまんまに、もうあちらにやらせて頂きまして此の方、一番初めに世話になったり、そして今日までそこをまぁお借りしてるのが、今までビリグイ教会と言うのは新田さんの家の中の一室を借りて、御神前をお祭してあった訳なんです。
 あちらのお父さんに当たる方が今から13年前、ブラジルに渡られたのはもう早くから、もうやがて53年か4年前にブラジルに渡られた。その時3代金光様のお取次ぎを頂いてブラジルに地に出らして頂いたのが、金光様のお取次ぎを頂いたせいか、もうともかくあちらに行っても、不思議な事の連続であったと言う事を聞いております。日本からブラジルに移民して行く方達は、もう聞けば聞くほどもう大変な難儀苦労をしておられます。もうまだブラジルに奴隷制度の名残が残っておるという頃に。
 日本の移民の方達がどんどんあちらに行かれた訳ですからもおう。サントスの港に着くともうそこにはもう沢山の、アジェンデーラーちゅうて、ないき農場主が移民を迎えておる。そしてそれぞれの耕作地ごとに、日本からの移民が入る訳ですけれども、ところがその当時のアジェンデーラーというのは、もう大変な権力があって、例えばこう夜なんかでもこう無断で外出しておると、銃殺をされると言う位に厳しかった訳です。
 そしてまぁそれこそ安い賃金で朝から晩まで重労働をさせられ。そして大変な難儀苦労の中にブラジルの開拓移民の歴史がある訳ですけども。もう日本から行って今日成功してられる方も中にはありますけれども、もう沢山の方達がそういう苦労の中で一生終わって行く。或いはそういう苦労の中で、結局一生がうだつが上がらずに一生を終わって行くと言う人も、もうあちらには沢山ありました。
 そういう中にあって新田さんんのところは3、代金光様の取次ぎを頂き、かの地にやらして頂いてともかくあのう始めて行った耕作地の長男が、もう毎晩毎晩虫気を起こして泣くという病気の方だったんです。でそういう子供が虫気を起こしてもう泣き止まないと言う話を聞いてから、3代金光様うより頂いておった御神米をその方に差し上げて、そしてこれを頂いてその中に入って行ったら、それを頂いた時それを境にその子供さんがもうぅ拭い去るようにして、長年の虫気が治ったそうです。
 もうそう言う事があって以来というものは、特別の待遇を受けて特別のおかげを頂かれた分けですけれども、同じ農業するでもここにどうしても人が、いま降らなくちゃ困ると言う時なんかでも、もう新田さんのそのう田んぼの上にだけ雨が売ると言う。そう言う事がもう度々あっ田と言う事でした。さてそういう中にまぁおかげを頂いて、ブラジルの地でまぁ大体の財産も出来大体のおかげも頂いて、た時に偶々事情があって日本に引き返してこられた訳です。
 そして日本に引き返してこられて、あと一年したらブラジルでの永住権が切れると言う時に、三代金光様に進退伺いされて、これから一体どうしたらいいでしょうか、ブラジルに再び行って開拓移民としてやらして頂いたらよろしいでしょうか、それとも日本にこのままおって日本での仕事を続けたが良いでしょうかと言うお伺いをされた時に、三代金光様が、「ブラジルに行って人を助けられたら結構であります」というお言葉を頂戴さえた。もうあまりにもびっくりする様な返事だったもんですから。
 もうびっくり仰天してその言葉を頂かれた。それでもまぁ金光様のお言葉だと言うので、早速学院には入れそしてブラジルの地に渡られたのが、ちょうど今から13年前でした。そしてそれから7年間の間あちらの地で御用されて、そして亡くなられた今日ビリグイ教会がいうなら8年間、空っぽになってた訳ですけれども。もうちょうど期せずして13年前そういう三代金光様のお言葉の中から、ビリグイ教会が生まれてなら13年後の今日、私がご神命によりブルジルの地にやらして頂くと言う。
 もそこにはもう言うに言われない天地の不思議な働き、天地のもうやむにやまれない切なる願いを思わずにはおられません。あちらに行きましてから一番難儀したのが、やっぱり家内でした。もうなにしろ習慣も違いますし、もう何もかんも違う訳です。ですからもう家内にもう本当に、まぁちょうど私がいうたら可笑しいんですけれども、まぁそれこそ辛抱強い女ですけれども、もうちょっと音を上げる位にありました。で日本から送っとった荷物が付きませんし。
 まぁ結局着きませんしまぁ結局途中でのうなったんだろうと思ってた訳なんですが。そしてまぁあれも足らないこれも足らないちゅうて、家内があのう日本にお母さん宛にこう手紙を送っておりました。そしてそれを送って来るのを楽しみにしとる、そういうところに送って来たのが、親先生からのいや西岡先生からの手紙でした。もう合楽教会の修行生を全部集めて、あのう家内がこういういうとる荷物を全部送ってやれって、言われてそして次に親先生が神様にご祈念しておられたら。
 もう一切そう言う事は送る事はいらん。もうブラジルの地に土着する気持ちになって、周囲を眺めて見れ。土着する気になればもう日本にあるものとか、日本でしいべに思っておった心元なんか一切関係なしに、もうかの地に行っておかげを頂いていけと言う事を、御理解で頂かせて頂いた。もうその時本当に私はもう親先生の深い思いに、もう家内と二人でもうもうそれこそ抱くごとして、泣かして頂きました。もう本当に荷物を欲しいものを送ってやる事ぐらい簡単な事なんですけれども。
 それを送らせずに祈りを送ると言う事は本当に難しい事、もっと大変な事なんですけれども、それをあえて親先生は送って頂かなかったところで、もう家内と二人でもう泣いてあのうお礼申し上げさして頂きました。そしてまたその事をもう御神前で泣きぬれてる所に、着いたのが前に日本から送っとった荷物が、きれいにまとまってその場で着いた訳なんです。もう本当にその時ばかりはもう、神様のもう一分一厘狂いのなさにですね、もう恐れ入ってしまった次第でした。
 それでまぁおかげを頂いてまぁ以来まぁ不自由というものもなく、まぁおかげを頂いて来た訳ですけれども。あちらの地に行かして頂きまして、6月30日は大祓式を仕えさして頂きました。私は本当にあのうもう教会で、あちらの教会で何かあると言う時にゃ、もういっつも不思議な天気のもようしを受けるのです。ちょうどの30日の大祓式の前日でした、サンパウロからサントスに行く30キロ位の道中に、もう何百台と言うもう大変な交通事故が起こった訳なんです。
 でもうそれまで私もまだ交通安全のお祀りはまだ早いから、大体する気が無かったんですけれども、何の話からか交通安全のお祭りが、やっぱりしてもらわにゃならんと言う事になって、あちらの地でもうやっぱりして頂いたのですが。もう本当に前日にゃそういうもう大事故が起こったもんですから、もう30日に仕えるお祀りはもう、せっこう真剣そのもの厳粛の中に仕えさせて頂く事が出来た訳です。そういうお祭り都度都度に頂く天地のもようしというものは、本当にすさまじいばかりのものがありました。
 8月の祈願祭を迎えた時なんかは、今日の前の日私は永住権の手続き何かの事で、サンパウロにやらして頂いた。そしてサンパウロから帰って来るときゃもう、せっかと申しますかあのう日照りのためにもう、途中の草原がみんなあっちこっちで火が燃えてる訳です。で私は最初あのうブラジルは今野焼きの季節かなぁと思ってみてたんですけど、それにしちゃなんかこう様子がおかしい、第一道路の横がもうどんどん燃えておりますし。確かにありゃ植林をした筈だと言う様な。
 そういう植林をしてある木の中がどんどん燃えておりますから。どうもおかしいと思うて帰ってその事を聞いたら、それは野焼きじゃなくて、いやそれは丁度あのう100日以上に及ぶせっかでした。そのために言うなら火事じゃった訳です。もうあちらはなにしろ土地が広くて、もう一回火が着いたならもう消す手立てがない訳なんです。それで結局はおう自然に消えるのを待つ以外ない訳なんですけれども。そういう大変なせっかの中で仕えさせて頂いたのが8月29日の夏の祈願祭でした。
 ちょうど祈願祭を仕えさして頂こうとする1時間、2時間くらい前だったでしょうか、ゴーロラマリから手紙が参りまして、この頃からあのうお夢を頂いたのに、タイの口という岩がこう私の故郷にあるのんですけど、それとそっくりの岩がバーベリにある、そういう写真を見ておったと言う、お知らせを頂いたと言う手紙が来ました。でタイの口という事は有り難い勿体無い、そういう有り難い勿体無いの入り口にあるのが、今のビリグイの信心だなぁお前の信心だろうと言うて手紙が来たんですけど。
 もうそれを見さして頂いたら途端、もう思わぬ感動させられ、もうそういう有り難い喜びの中に、29日の祈願祭をつかえさして頂いた訳ですけれども。ちょうど祈願祭が終わたその晩からでした。もうひたひたと降るお湿りが始まりました。もう大体出火の後のお湿りというのは、もう暴風が伴ったり雷がありたりで、そのためにもう大変な難儀をされるらしいんですけど。もうところがこの度だけはそう言う事もなく、もう大地が湿る様なお湿りが3日3晩に渡って続く事が出来たと。
 もうその時もうお祭りを頂く人たちが皆んなもう本当に、五穀豊穣諸事繁盛の祈願祭ですから、もうお祭りの甲斐があった、もうお祭りのもう神様も面目が立ったというて、もう皆んなで喜び合わせて頂きました。今熱心に信心の稽古の出来る、シオンエマニエルという青年がおるんですけれども、この方は始めて参って来た時もうそれこそもうノイローゼ半分ぐらいノイローゼ。初めての参拝でした。この方はあのうリオデジャネイロの大学でカトリックの神学を納めた人なんです。
 もう世界のあらゆる宗教の宗教学の、ブッタ・モハメット・そういうあらゆる大宗教家の宗教を勉強して、そしてカトリックの神学をもう研究すればするほど、いよいよ行き詰って、それで結局もう後はもう死ぬ以外にはないと言うて、もう目もうつろの中に参って来たのが始めての参拝でした。もうこの時なんか本当に私も、この方の悩みを聞かせて頂きながら、本当にあのう生きた宗教の有り難さ、生きた働きを示すしかも助かりきった、助かりの理念のある合楽理念の有り難さを。
 もうこの時ほど私は有り難いと思った事はありませんでした。もう言葉が充分にあのう伝わると、私が日本語で一生懸命話す、それを途中新田さんが通訳してそれをその方に伝える。まぁ通訳が入りますと途中どうしても、あのう意味が曲がったりしてこうよく伝わらない事が多いんですけど、まぁ一生懸命話さしてこの話をどこかが、この方の心に触れたんでしょう。この日を境にもう一生懸命に参って来る様になった経緯があります。この方なんかもうこの日からもう日本語学校に行ってもう日本語を勉強して。
 そして日本語を勉強して私の話を聞かして頂こうというぐらいの熱心さ。そしてそれ以来というものはもう段々分かれば分かるほど、ちゃんと合楽理念というものの神学がどんなに極められた神学であっても、そのカトリックでも解き明かす事の出来ない者であると言う事が、段々分かって来る様になって、それが分かれば分かるほど、もういよいよ打ち込んでもう現在ではもうともかく一日でも早く日本の合楽教会にいって、そういう信心の勉強をしたいという、もうその一念で朝参り日参り夜参りが続いております。
 おかげ頂かれた話なんかも本当にもうお母さんと二人参って来た時に、ちょうど一番上のお兄さんが引きこもってノイローゼになっておられた。その一番上のお兄さんの離婚した奥さんが、いよいよこうまた再婚をすると言う話になって、もう荒れ狂っておる時にお母さんを連れて参って来た時なんか、もうとてもハッカーあのう包丁ですかね、包丁なんかもう投げつけてから、もうそれが喉元に突き刺さったりする訳なんです。おうとてもこりゃ家のなかに一緒におられんというので。
 もう今日からよその家を泊まり歩くと言うてお願いに見えました。で私はその事を聞かせて頂いた時に、ともかくあのうお願いさせて頂きますから、もう泊まり歩く必要がないですから、どうぞもう家に帰って休んで下さいちゅう事を申しておりました。そして私がそう言うもんですから、まぁしぶしぶ家に帰ってまぁその日休まれたんです。ところがもう不思議にその日はまぁそのお兄さんはおとなしかったです。
 そしてその晩にそのお母さんに当たる方が頂かれたお知らせが、もう沢山の黒衣を着た羽織はかまを着た人がもう家の周りを、手に手を取って守っておると言うお知らせを頂かれた訳なんです。もう本当にもう言葉が分からないとかいうても、もうともかく分からせずにはおかないという、神様の働きというものはもう何時の場合も、素晴らしい働きが生まれてきた訳ですけれども。もうこの時なんかもうそのお母さんがもうびっくり仰天して、明くる日参って来て。
 そして昨日こう言う風にお知らせを頂いたら、あなたもうその日を境にもうこのお兄さんが、荒れ狂うと言う事が無くなった訳なんです。このジョン君のお兄さんの事でまぁ面白い事があるんですけれど、ブラジルにゃあのうマクンバちゅう呪いの宗教があるんです。それからあちらに一番多いのは、そのマクンバ、それからモッティネいわゆる霊が着くと言う宗教なんです。あのうちょうど私が帰って来る前の日に、あのう参って来た方は学校の先生をしておられた方でしたけれども。
 その校長先生がいわゆるそのマクンバの祈りに凝り固まってあるちゅう方なんです。もうお金もあって財産もあるんですから、もう別に働く必要はないんだそうですけれども、もうともかくそのう呪いによって人を困らしたやるというのが、もう趣味と言う様な方なんです。それでもうともかく何んか面白くない事があると、マクンバの祈りをかけたそのう饅頭を食べさせるとこういう。その饅頭を食べた途端にその方が、もう必ずあのう狂うたごと暴れ出すという。
 もうれでその校長先生のために大変難儀をしておるから、そのマクンバのそれが無くなるごとお願いしてくれという、もう切実まぁ本人にとっては本当に切実なお願でしたけれども。そういうたらマクンバという呪いの宗教が非常に多い訳なんです。そのうジョン君の一番上のお兄さんも離婚しておる、奥さんと分かれてる訳ですけれど、ブラジルではあのう最近まで離婚が認められなかった訳なんです。もうごく最近まで。だから主人が亡くならなければ再婚が出来ない。
 ところが実際はもう自分は主人と別れとる、そしてそこに好きな人が出来て再婚をしなければならない、だからどうしたらよかろうかと言うので、いわゆるマクンバを思い付いて、そのマクンバのその呪いによって、そのお兄さんを殺してくれと言う事を頼んである訳なんです。もう本当すさまじいものなんですね、まぁ女の一念とでも言うのでしょうか。あのうそこに偶々行ったらもう生き血が出る。鶏の生き血がもう墓中にこうばらまかれてですね、もう肉なんか食い荒らされて。
 いわゆるこれがマクンバの祈りなんです。いわゆる日本ではこう五寸釘を打ってこう呪い殺すというのがありますよね。ブラジルでは現在でもそういうのが非常に多い訳なんです。もう私はあちらに行ってこのマクンバの祈りによって、祟ったと言う人はもどれだけあるやら分かりません。まぁ今までこれまで聞いて来たマクンバちゅのは、私はもどっちかちゅうとあんまり信用しない様な、例えば私はマクンバの祈りが掛かってからもう酒が止められませんちゅうて、もう大酒飲みの方だとか。
 まぁそう言う時には本当に先の先が、こうマクンバのおかげでがぶがぶ飲まれるちゃから、もう本当にマクンバ様ですと思うて聞いてたんですですけど。けれどもまぁそう言う時でもやっぱりお願いされるから、お願をしたらもうともかくお願いをした日を境に酒をやめられた。もうそう言う事はもう何べんもありましたから、マクンバというのは知っとりましたけれども、ところがその時ばっかりは何んかこうあまりにも陰惨だったもんですから。もういわゆる呪い殺してくれと言う様な。
 こうだからそういう呪いが掛かっておるせいかそのう、ジョン君お兄さんがもう部屋にじっと閉じ籠り切でもう、水も飲まんご飯も食べんとという日がもう随分続いて、もう廊下を歩くでもふらふらして歩かんならん位にひどくなった事があります。でその事をお願いして、今迄はまぁそういうマクンバの祈りなんかは、もう一遍に立ち切ってあげるちゅて言って居った訳ですけど、その時ばかりはなんかこう無碍にこう言う風に言えん様な陰惨なものを感じたから、神様にその事をお願いさして頂いた訳です。
 そしたら本当に私はもう合楽理念の、あのう深さというものは素晴らしいと思いました。そういうマクンバの祈りとてもその祈りの向こうにはやっぱり、天地の親神様の慈願溢れる心があると言うのが合楽理念なんですから。だからいわゆるマクンバの祈りを掛けられたからちゅて、祈り祈り祈り殺される事を心配したり、その祈りをほこにはせんて今度は向こうが死のうごとある祈りを送ったりとか、もうそう言う事が一切必要がない、マクンバの祈りとてもやっぱり神愛そのものには、もういっちょん間違いない訳なんです。
 もう私が翻然としてそういう心が開けさして頂いて、その事をお取次ぎさして頂いた。その日からそのジョン君兄さんがご飯を食べる様になって、元気を出たと言うおかげを頂いた事があります。と言う様にあちらではそういうマクンバだとか、あるいはスピリッツこれはもう霊なんですね。あのうあなたにはこういう霊が着いとるからこういう難儀をしとる。もう霊がついとるからこういう苦労が家に絶えんという、そういうスピリッツだとかマクンバちゅうのが。
 あちらではいあゆる原住民の現地の人達の上に、非常にある訳ですけれども。そういうスピリッツだとかマクンバと言うものは、もうそれから次々にもう働きを受けるともう、そのお取次ぎを頂いたその日より、はっきりしたおかげの印が見えて来る訳なんです。あちらに言って驚いた事は、日本から行った宗教がもう非常に栄えておる事に驚きました。ブラジルでは現在生長の家、そして日本であのうPL教、ですかねあちらではペリーちゅうんですけど。
 そのペリーなんかはあのう日本よりかの信者よりかブラジルの信者が多いとさえ言われております。もうそれこそ大変なお金をつぎ込んでの布教に、教団を挙げてさいねんしてるわけですけれども。ところがそこにあのう合楽理念をもってするところには、もう言い争う事もいらなければ、もう何と言いましょうか、もういかなる宗教革命ちゅう事をこの頃の合楽だよりに書かれておりましたけれども。もう上から下に水が流れる様にして、合楽理念の前にはもう人が集まって来て人が助かって行く。




 いまビリグイで熱心に信心の稽古が出来る、沼田さんと仰る方はデーリーで10年間婦人会長を務めておると言う方でした。そして10年間もう実を入れて打ち込んで信心せるけれども、もう御主人がもう長年ノイローゼで、もうともかく家の玄関出て朝から晩まで、こう道行く人にこう悪口雑言を浴びさせるという病気なんです。だからもう何とかしてこれが治まる事と思うて信心するけれども、もうどぅうにもならん。もうそれでこっちの日本館に立ち寄りPR教と言う宗教に。もう実を入れて打ち込んだ訳です。
 それでも結局おかげのしるしもみえることなく、10年間経っている。そして今度始めてビリグイちにこうやって、日本から金光教の先生が来たちゅう話を聞いて、始めて参って見えたのが5月の秋の大祭でした。そしてその大祭を頂いてその大祭の中でもう訳の分からん喜びが心の中に起きて来て、でその明くる日改めてご主人の事、そしてまぁご自分の身体の上の事、生れ付きこう心臓が悪くてもう、私は心臓病で死ぬだろうと、思うとったぐらいに心臓が悪い方でしたけれども。
 もうお願いをしたその翌日から、御主人のもう長年もう続いておった、内容をとても言えんですが、もう家の玄関出てともかく道行く人に、もう通る人毎にもう悪口雑言を浴びさせておられたそれが治まった。そして御自分の身体の上に長年の心臓病が、もう忘れたごとして治って負った。もうそういう狭間狭間で働きを受けたもんですから、もうびっくりするやら有り難いやらで以来打ち込んだ信心が出来、まぁこの額田さんの御道引きによって助けられたブラジル人はもう、もうどれだけあるやら分かりません。
 もうそういう方の中に例えばこう引付を起こす人がお願に参って来る。お願をして帰る帰ったらまたその引付が起こって、もう普段よりはるかにひどい引付だったけども、その引付を境にそれが治って行ったり。あるいはもう博打好きでもうどうにもならん、親も手を放しておったもうどうにもならん、やつだ博打うちの子供が博打がもうあっという間に、あのうやめてしまったりという。もうともかくそういうもう嘘の様なおかげが、もう次々と現れるようななったけ。
 で私はどうしてこういう神様の凄まじい働きを、こんだもし合楽教会に私は思うんですけど、表行が残っておった、水を被っておったり断食をしたりと言うものがのこっておったら、もうおっせ私はもう朝から晩までもう一年中でも、断食しとかにゃならんと言う程しに、もうあちらに言って驚く事は、もう深刻極まる問題ばぁっかりである事に、もう本当に驚かされました。例えば日本では3年4年の難儀が続くと言うと、もうほぅうというてびっくりしますけど。
 私の所に参って来る人はもう皆んな20年30年こういう難儀を苦しんでおりますと言う人ばぁっかりなんです。いわゆる助かろうと思うても、そこに助かる手懸りがない訳なんです。がそういうとりとか言うものは別に本当言うと、金光教にいわんともなら日本では例えて言うと、もう医者で治らんなら巷の神やらさんに走って行きゃ、それこそあのう助かることが出来る訳ですけれども。もうブラジルにはそういういわゆる奇蹟を起こす働き、そういう宗教とてもないというのが実際の姿なんです。
 だからそこには20年30年悩み続けておると言う人が、跡を絶たんぐらいに次から次に求めて来られる訳ですけれども。そういうたびが結局はもう私が一切頂きました様に、御結界に小さい小坊主の私が座っとる。その横に大きな大坊主の大坊主が坐っておると言う、お夢を頂いた事があります。でそのそういうお夢を頂いた朝新田さんが、まざまざと朝の御祈念の時御心眼に頂く頂かれたのが、御神前の左側の大きいもう大きい見た事もない様なあのう黄金の信心なさっておる。
 よくよく見るとあのう何時も私が拝んでおる、その親先生のそのお写真のそのものの方が左っ側に坐っておいでで、で右っ側に私が坐っておるというお知らせを頂かれたという。はぁ私は本当にそわりゅうちいずそん時のお知らせを頂いて、もう結局ここで奇跡が起こるここですさまじい神様の働きがおこる、これは結局大きい大坊主の大先生のお取次ぎを頂く事が出来るから、ここでは奇跡が起こるのだと思いました。
 でなければ本当にもう人間心を考えては、もうとてもではないがもう持てないような問題ばぁっかりなんです。 杉原さんと仰る方がこの方も、やっぱり同じPL教で長年信心して、それでももう結局もう行き詰まりに行き詰って、入られて参った方は始めて参って来た時は、もうこのまま行ったら店を閉めてしもうた方が良かろうごたる、店を閉めたがいいでしょうか、それとも仕事を続けたがいいでしょうかと、いうお伺いが初めてのお参りでした。
 もうこの方の時なんかは、おかげの泉何かその時上げてたら、たまたまそのおかげの泉の中に大黒様の話が載って居ったげな、それで日本では合楽教会親先生の事を大黒様というて、大黒様を祀られるそうですねちゅうて、もうあのうブラジルで大黒様を手に入れようと思うたら、もう大変な努力がいる訳ですけれども、もう町で探し回ってやっと一体の小さな大黒様を求めて来られ、それに御神威を入れて頂いて始めて大黒様を祀られたのが、この杉原さんと言う方でした。
 もう大黒様をお祀りしてこの方、その時私は親先生のあのう和賀心時代を創ると言う本んを、あのうその方に貸しておりましたから、その大黒様の前でその本を一生懸命読んどると、もうともかくもう何行か読んだらお客さんが来る、何行か読んだらお客さんが来る、もうそげな風でもうどうせもう暇で暇で、今日閉めにゃならんかちゅうぐらい暇なお店でしたから、こん位の本はすぐ読んでしまうと思うとったのが、もう何か月間掛からなければ読み合せんという程しにいうなら。
 その大黒様をお祀りした日を境に、おかげを頂いた方が居られます。ブラジルで大黒様をお祀りされたのは此の方が言うたら始めてでしたけれども。それ以来というものはもう沢山の方が大黒を求めてお祭りしておられます。ブラジル人の中にもあぁそういう大黒様を求めてお祭りしてある方がある訳ですけれども。もうそして何時っつも思う事はこの頃これも、ジョン君のお母さんが頂かれたお知らせに、もうともかく家の中をあのう鼠がもう何時っつも行ったり来たりするお知らせを頂く。
 なら鼠と言う事はあのう大黒様にまつわる、いわゆるもう親先生のお使い大黒様のお使いが何時っつも家の中に来た家を守って頂く、家を栄さして下さるもうそういう中にもう、親先生のもう只ならぬ祈りをもう感じるなというても感じずにはおられませんでした。ブラジルは一年が大体夏と冬に分かれるわけですけれど、まぁ冬と申しましてもあのう大体そうです日本の春、5月ぐらいの暑さでしょうか。まぁいうなら子供でも半ズボンと半袖と着て過ごすまぁその程度の冬ですけれども。
 7月から日本では、もう合楽教会では夏期信行がもう会場が割れる様にしてあっておる。ブラジルでは7月1日から一ヶ月間寒修行さして頂きます。もうそれまではまぁこう朝参りをすると言う人だけは全然なかったですけれども、だから寒修行なんかは始めてもこう恐らく誰ぁれもお参りが仲りうと思ってたんですが。もうともかくこの寒修行始めさして頂いてからというものは、もう最初の内は二人三人のお参りが、段々々増えてきて。もう20名ぐらいしか入らん小さなお広前出りますけれども。
 もうそこには毎日もう入り切れん位のもう朝参りが毎日続かせて頂いた。そしてそのう寒修行有り難い中におらして頂いた事がありますけれども。ちょうどその寒修行の半ばぐらいだったでしょうか、あぁこれも先ほどお話しましたあのう沼田さんと仰る方が、あのう交通事故を起こされた事があります。もうほんな一月前に大祓式をして交通安全祈願祭したばっかりだったもんですから、私はそのう交通事故のお届けがあった時に、思わず心が暗ぁくならした訳なんです。
 それでその事を私が神様にお願いさして頂いとりましたら、ちょうどそこに参り合わせた方がお届けされますのに、あのう今朝からあのうブラジルにあのジャボチカバという、紫色の実がたっくさんなる実があるんですけど、それがもうたっくさんなっている御知らせを頂いたと言うお届けがありました。そのお届けを聞かして頂いた途端に、私は着きもんが取れた様にあのう楽にならして頂いた。いわゆるもう紫色のジャボチカバの実がなっておる聞いただけで、もう一遍で私の心に蘇って来たのが合楽理念なんです。
 もう合楽理念にもとづずきさえすれば、もう交通事故であろうが何の事故であろうが、もうそれとても安心のおかげの中にある事なんですから。もうそれを私は早速その沼田さんと言う方に伝えさせて頂いた。そしたら後で聞かして頂いた話ですけど、もう大体2時頃いつも横になって車の中で寝てる、娘さんと二人できたんですけれども、何時も横になって寝る筈の娘さんが、その日の限って立てになって寝とったもんで、車の真ん中をこう電信柱に持って行っとる訳なんです。
 それでもし横になって寝とったらもうあっという間に、身体がこう真っ二つに切れとるとこだったんです。それがもうそれこそあのうこっち側に立てて寝とったもんですから、もう軽い怪我で済んだ。しかも交通事故に遇って車は滅茶苦茶になった。ところがもうそこには丁度それと同んなじ部品の通用する、車が用意されたったわけなんです。もうそういう神様の一分一厘間違いのない働きのなかに、こういう交通事故が会った事をまぁ改めてその沼田さんのお届けが後であった訳なんですけれども。
 もうそういう中に私は本当に、親先生のもうただならぬ祈りを、感じずにはおられませんでした。恐らくその時私しゃその方がならごちかわのお知らせを頂かれなかったら、私の心はまぁ言うなら沈んで沈みきりだったと思うんです。沈みっきりの心にはやっぱり次のそういう、ならはっきりしたおかげをもう繋がらなかっただろうと思うんです。ところがもう心が沈もうとすればそこにはもう心を躍動させずにはおかない、もう合楽につけあいに立ち返らせずにはおかない。
 もうそういう働きを何時の場合にも、もう受けどうしに受けさせて頂く事が出来る訳なんです。あちらにまいりましていっつもあのう、今度合楽だよりにその頃が載って居りましたが、あのう御神前にあのう毎朝菓子をお供えさせて頂く訳です。その菓子がいつも神様の方にひとっつも蟻が来んのですけど、御霊様の方にはいっつも蟻がもう群がるようにして来る訳なんです。もう本当に家内がいつもあのうその菓子を下げる時に、まぁ本当不思議なこっちゃあります。
 今日も御霊様の方にゃ一杯の蟻が来て、神様ん方にゃもう一匹の蟻も来ておりませんちゅうて。いっつもそれを私に見せながら法被を下げさせて頂く訳ですけれども。もうそれこそあのう椛目時代のあのご神飯のあのお話じゃありませんけれども、もう神様の方にはもう一匹の蠅ももつかない。もう御霊さの方には真っ黒に蠅が着いておると言う、もうそういう中に今日も一日間違いのない、親先生の祈りの中に過ごさせて頂いておると言うのを、もう一日感じずにはおられない訳なんです。
 そういう親先生の間違いのない祈りの中にあって、いよいよ分からされる事はもうどういう中にあってでも合楽理念にもとづこうとする時には、もう訳の分からない感動が起きて来る訳なんです。もう心の中であぁ親先生と唱えさせて頂くと、そこにはもういっつも喜びが起きて来るんです。いわゆるもう喜びの献饌、喜びの献饌としての親先生であり、喜びの献饌としての合楽理念がいっつも、新地の南米布教なら南米布教と言うものは、もう支えどうしに支えてくれた訳なんです。
 そう言う様な言うに言われない神様の祈りの中で、過ごさせて頂いてそして様々な、例えばたえが出産のおかげを頂いた時なんか、ちょうど8月2日が予定日でした。ちょうどその予定日の8月2日に本部からあのう、教報が送って参りましてその教報の中に、載っておる事がいわゆる出産の御理解なんです。もう産前身軽く隣しらずの安産。そしてもうともかく陣痛が起こったなら、神様どうぞ安産のおかげを頂かして下さいと言うて、願えて。そしてすぐに安産のおかげなり。
 次に安産が終わったなら次に後産を願え。すぐにおかげになるなり。あとはあら乳を作り飲ませるが良しという。そういう意味の教祖様の御理解がその教報の中に載っております。もう本当に家内に早速その事を伝えさせて頂いて、もうこういう間違いのない神様の働きがあっとるから、もう心配なく神様にすがらして頂けばいいよって話したんですけど。もうこの度家内の出産の事なんかもう本当に私しゃ、もう私も不安でした初めてあちらで第一にこう近くに、日本人のお医者さんの居ってある訳ですけれども。
 その方がしょっちゅう旅行をされたり、もうしょっちゅう留守をされる。しかもあのう新田さんの所による車がこう、月曜日、土曜日日曜日だけおって後は、皆んな仕事で泊まり込みの仕事で外に配達に出られますから、もう車も無い訳なんです。ですからそういう事もありましたし、またかないがもう何か塩とじゃなかじゃろうかというお知らせをずぅっと頂きょりましたから、何かそこにいつも一抹の不安があった訳ですけれども、その時初めて教報が参って。
 その教報に何かこのこの当りのこのお産だけは、神様にすがるより外にないからちゅうて、二人で話合わせていた訳ですが。ところが予定日を過ぎ10日過ぎても20日過ぎてももう一向にもうその兆しがない。そしてやっとその出産の印が起きだしたのが、ちょうど一月の9月2日の朝でした。そして早速新田さんにその事を話しましたら、ちょうどその日おかげを頂いて車がこう配達から帰ってきたと言う日でした。それで病院に行った。病院に行ってみると。
 いつも掛かり付けの日系人のお医者さんが旅行でお留守なんです。それでどうしたもんだろうかと思ってたら、ちょうど教会の前にザッシヤマントリヤさんとイエニベルチーキにベンチキンヤさんとこの方は私があちらに行って、始めて参って来られた方々なんですけれど。一人の方は産婆さん、一人の方は主人がお医者さん。それでこうやって掛かり付けのお医者さんがないちゅう事を聞いて、もうあぁもすうも言わせずに家内を病院に連れて行ってくれました。
 大体家内は非常に難産の毛の強い訳ですけれども、ところがその事をお願いして病院にやらせて頂いた、そして行きがけ家内の言うのにはもう、ともかく出産というのはこういう陣痛が三日三晩続いてもう最後に、ものすご痛まなければ出産というのは出来ないですと言っております。だから私もそう言うもんかなぁと思うて、家内を送り出さして頂いたのですけれども、それからもうほどなくでした、新田さんがひょろっと帰って来て、あぁも生まれましたよって言われる。
 まぁもうびっくりしてそして後で聞いてみますと、もうそれこそ病院に行って分娩室に入ってもうわずか10分で生まれたんだそうです。しかも今まで克ってない程しの安産です。もう痛むと言う事もなからなければ、気張ると言うkともなく、それこそあのう後産なんかももう一緒に出た、あぁ翌日だったですもう赤ちゃんを連れて退院して帰ってきました。もう本当に考えられない様な中に、それがちょうど陣痛の起こったのがあのう、もう神様にすがり神様の頼るしこ頼って。
 それもまぁだ不安ですからもう最後に親奥様あてに手紙を家内が書いておりました。どうぞ安産のおかげを頂かしてくださいちゅうて、手紙を書かせて頂いて、手紙を出さして頂いたその日の朝がちょうど9月2日だったんです。もう本当に一分一厘狂いのないようにして、その様な中に安産のおかげを頂かして頂いたんですけれども。その時あのう満ちゅうお名前を頂いて、一緒に御理解の中に、いちばん上の子供が慎太郎といいます。二番目が静行といいます。
 そして三番目が満というお名前を頂いた訳ですが。いよいよ「信」の「静」かなるお道の教が南米の地に「満」ち渡ると言う、御理解でした。もう本当に私しゃ私達一家に掛けられた神様のもう( ? )のようなもう、もうせめて親先生にその巡り合えがなからなければ、もう今日こういう私自身こういう尊い御用にお使い回し頂く筈もありませんでしたでょうけれども。もう親先生とのご縁を頂かせて頂いたばっかりに、私一代は言うなればもう子供のために至るまで。
 そうしてもう南米のちで信の静かなるお道の行が、南米の地に満ち渡ると言う程し、御用に神様が使おうとしておられる事を、もういよいよ私がその時有り難いと思わせて頂いて、お礼申し上げさせて頂いたんですけれども。合楽理念と言う事をもう朝に晩に最近言われますけれども、合楽教会で私達が修行させて頂いて、もういっつも心に掛けさせて頂く事、いっつも私達が信心の頂点に於かして頂く事、それはどう言う事かというともうこう言う時親先生ならどうなさるだろうか。
 こう言う時親先生ならどう思われるだろうかと言う事が、もう言うならもうその稽古が合楽教会での修行の稽古だったと。勿論もうそれこそ出来ませんでしたけれども。出来ん所はもう出来たもんの様にして、おかばいを頂いてまぁ南米の地に私達やらして頂いた訳ですが。南米の地に行っていよいよ分からされた事は、もう合楽理念というものは親先生そのものであると言う事を、いよいよ確信を持って分からして頂いたんです。もうお取次をさして頂きながら、こう言う時親先生はどう言うお取次をなさるだろうか。
 そこに出て来る答そのものが合楽理念なんです。だからそういう意味で私はいよいよ親先生の心に通うて行く様な、親先生の心に添うて行く様なそういう信心内容を日頃に作らして頂き、そういう信心内容を日頃に稽古させた。そこから私は限りない合楽理念を深めさせて頂く、限りなき合楽理念の実証者としておかげを頂かせて頂いた。そういう念願をも焚いて頂いとります。こちらに帰って来る飛行機の中でもう私は、私は本当にもう繰り返し繰り返し感動させられました。
 もう言うに言われんおかげの中に、この度ブラジルからこちらに帰らせて頂いた訳ですけれども。まぁ3人の子供を抱えて、そして沢山のなら荷物を持って帰らして頂く、妻とそれこそ子供がこう泣いたり騒いだりして、もうとても大変だろうと思っていたんですけど、もうどこに行ってここに行っても、もう親先生の祈りの中にあると言う事を感じずにはおられん様にして、帰らせて頂く事が出来た訳なんです。
 かくしたような重荷でも、今日この様にとうたいがわにこうお使い回し頂いて。そしてかんせいなくかかでなくて、もう私の様なものが今日この様にして、おかげを頂いておる事を思いますと、もう繰り返し繰り返し感動が起きて来て、その感動がもうやむ事がありませんでした。そういう言うなら感動を持って私はこれからの信心、これからの合楽理念にいよいよ信心の精進の稽古を掛けさせてい徒基地と思う訳であります。
 本日は本当に合楽教会の開教10周年という記念大祭に、もう私共本当にもう内容も無い裸の者が、こうやって講師の御用を仕えさせて頂きましたけれども。いよいよ再び南米の地に帰らせて頂いて、私しゃこんどこちらに来る時、いろいろ分からない疑問を沢山持ってきた訳ですけれど。もうそういう疑問が朝のご理解を頂いとりますと、もう一つ一つ解けて行く事がもうはっきりと心に感じっれる訳なんです。
 そうして今私が一番思っておる事は、もういよいよたていだちに行って私がする事が、私がなさねばならない信心は、もう限りないひ神への道をおるかせて頂くと言う事でした。もうこの事を私がはっきりと確信を持って信心の。これからの信心の稽古のもう目安として頂かして頂いた事は、この度10周年記念大祭に帰らせて頂いたことの、なによりの収穫であったように思わして頂いております。
   有り難うございました。